30分では、見えないもの──「違い」を調べた先にあった、自分への問い
制度や働き方の違いを調べていたはずなのに、最後に残ったのは「自分はどうしたいのか」という問いでした。訪問介護を続けるなかで揺れる気持ちを、静かにたどります。
帰りの車の中で、ふと考えることがあります。
今日、何件回っただろう。何人の顔を見ただろう。朝から夕方まで動き続けて、記録も書いて、申し送りも済ませた。やるべきことは全部やった。それなのに、夕方の車内でハンドルを握りながら、利用者さんの顔がうまく思い出せない。
5件目の方の名前と、3件目の方の表情が混ざる。
それは疲れているからだと思っていました。でも、最近は少し違う気がしています。疲れとは別の何かが、胸の奥に溜まっている感覚。「忙しかった」と言えるほどの充実感もなく、「楽だった」と思えるほど余裕もない。その中間の、名前のつかない状態がずっと続いています。
介護の仕事を続けてきて、「嫌だ」と思ったことはほとんどありません。利用者さんに「ありがとう」と言われれば嬉しいし、自分の介助で食事がうまくいった日は、帰り道の気分が少しだけ軽くなります。
でも、その「少しだけ軽い気分」が、いつの間にかピークになっていました。
それ以上の何かが、この仕事の中にあるはずだと思っていた時期もあったかもしれません。けれど今は、あるはずだと信じる気力のほうが先に減ってきている。そのことに気づいたとき、自分でも少し驚きました。
ある日、求人サイトをなんとなく開いていたときのことです。
同じような訪問介護の求人が並ぶなかに、「重度訪問介護」という言葉がありました。給与の欄には、今の自分より少し高い数字が書かれていました。
気になって、調べてみました。制度が違うこと。根拠となる法律が違うこと。対象者が高齢者ではなく、重度の障害がある方であること。1回の勤務が8時間、ときには24時間に及ぶこと。そういった「違い」は、わりとすぐに理解できました。
でも、調べ終わったあとに残ったのは、すっきりした感覚ではありませんでした。
「で、自分はどうしたいんだろう」という問いが、画面を閉じたあとも消えなかったのです。
制度の違いは、表にすれば一覧になります。資格の違いも、調べればわかります。給与の差にも理由があって、長時間勤務や夜勤手当の構造を知れば「なるほど」と納得できます。
それでも動けない自分がいる。
その「動けなさ」の正体が、情報不足ではないことには薄々気づいていました。
正直に言えば、怖いのだと思います。
高齢者介護の現場では、それなりに頼られる立場になっていました。後輩に教えることもあるし、利用者さんのご家族から相談を受けることもあります。「わかっている人」として見られている。その場所を離れて、まったく知らない世界に入るということは、「わからない人」に戻るということです。
ベテランと呼ばれるようになった人ほど、「わからない」と言うことが難しくなります。それは、プライドの問題だけではなく、「わかっている自分」がこれまでの日々を支えてきたからです。その支えを手放す覚悟が、まだ自分にはないのかもしれません。
もう一つ、認めたくないことがあります。
今の仕事を続けている理由が、「やりがいがあるから」ではなく、「ほかに行ける場所が思いつかないから」になっている気がすること。そう自覚してしまうと、これまでの3年、5年、あるいはそれ以上の時間が否定されるように感じます。
だから、求人サイトを閉じます。「まだ早い」「もう少し考えてから」。そう言い聞かせて、明日もまた同じルートを回ります。
立ち止まって見えてくること
新しい仕事が気になるのに踏み出せないとき、必要なのは制度の比較だけではないのかもしれません。何が不安で、何を守ろうとしているのかを、自分の内側に問い直す時間が必要になることもあります。
重度訪問介護のことを調べていて、一つだけ、制度の比較表には載っていない言葉に出会いました。
「自立とは、一人で何でもできることではない。自分の生活を、自分で決められることだ」。
重度訪問介護の根底にあるのは、1970年代から続く自立生活運動の考え方だそうです。介助者は、利用者の「手足」として、その人が自分で決めた生活を支える存在である、と。
その説明を読んだとき、介護の話なのに、なぜか自分自身のことを考えていました。
自分の生活を、自分で決められているだろうか。
「ほかに行ける場所がないから」という理由で、今の場所にいること。「わからない自分に戻るのが怖いから」という理由で、新しい場所に踏み出さないこと。それは、自分で選んでいるようで、実は何も選んでいないのかもしれません。
重度訪問介護が自分に合っているかどうかは、まだわかりません。
転職するかどうかも、今日決めることではないと思います。
ただ、一つだけ変わったことがあります。「違い」を調べていたはずなのに、いつの間にか考えていたのは、制度のことではなく自分のことでした。
30分の訪問では見えなかったもの。
それは利用者さんの暮らしの奥行きだったのかもしれないし、自分自身のこれからだったのかもしれません。
答えは、まだ出ていません。でも、問いを持てたことは、たぶん悪くない変化です。



