「ありがとう」が欲しくて、この仕事を選んだわけじゃなかった
求人サイトを開くと、たいていどこかに「やりがいのある仕事です」と書いてあります。何度も見ているうちに、その言葉が少しだけ苦手になっていく。やりがいって、本当はどういうものなんだろう。この文章は、答えを教えるためのものではありません。同じことを考えたことのある人と、少しだけ並んで歩いてみたいと思って書きました。
「ありがとう」が欲しい、と言えなかった
人の役に立つ仕事がしたい。そう思って介護の求人を眺めている人は、たぶん少なくありません。でも、その気持ちをもう一段だけほどいてみると、「誰かにありがとうと言われたい」という、もっと素朴な願いが隠れていることがあります。
それを口に出すのは、なんだか少し気恥ずかしいものです。感謝されたくて働くなんて不純なんじゃないか。立派な志がないと、この仕事を選んではいけないような気がする。そんなふうに、自分の本心に小さく蓋をしてしまう人もいるかもしれません。
以前の仕事では、自分のしたことが誰かの役に立っている実感を、うまく持てなかったという人もいます。指示された作業をこなし、目の前の数字を追い、終わってみれば何が残ったのか分からない一日。すれ違った人の顔も、かけられた言葉も、ほとんど思い出せない。そういう空白の感覚が、別の働き方を考えるきっかけになることは、めずらしくありません。
だから、ありがとうが欲しい。それは、決して不純な動機ではないと思います。むしろ、自分のしたことが誰かにちゃんと届いてほしいという、まっすぐな願いなのではないでしょうか。その願いを抱えたまま、この仕事の入口に立つ人は、たくさんいます。
ある夕方の、何でもない時間
重度訪問介護の現場には、派手な出来事はそれほど多くありません。一日の大半は、利用者さんのそばにいて、その人の暮らしのリズムに自分を合わせていく時間です。重度訪問介護がどんな一日を過ごす仕事なのかは、仕事内容のページでも紹介しています。
あるスタッフから聞いた話です。担当して間もないころ、利用者さんと一緒に近所のスーパーへ買い物に出かけました。何を買うか、どの道を通るか、決めるのは利用者さん。スタッフは、その人が決めたことを実現するために移動に付き添い、棚の高いところの商品を取り、レジで財布を開く手元をそっと支える。
「今日は鍋にしようかな」「いや、やっぱり魚かな」。献立を相談しながら売り場をゆっくり回る時間は、はたから見れば、ただの夕方の買い物です。それでも、その人にとっては「今日は何を食べるか」を自分で選ぶ、大切な一日の一部でした。誰かに決められるのではなく、自分で決める。その当たり前を支えているのが、隣にいるスタッフの存在です。
特別なことは、何も起きませんでした。ただ、帰り道に利用者さんが「今日の夕飯、これで決まりだね」と、ひとりごとのようにつぶやいた。その声が、なぜか忘れられなかったと、その人は言います。
ありがとう、という言葉ではありませんでした。それでも、自分がそばにいたことで、その人のいつもの一日が、いつもどおりに続いた。誇らしさとも違う、もっと静かな何かが胸に残った。あとから思えば、それが最初の「やりがい」だったのかもしれない、とその人は振り返ります。
うまくできなかった日のことも、覚えている
もちろん、はじめからすべてがうまくいくわけではありません。
未経験でこの世界に入る人の多くは、最初、自分の手の動きひとつにも自信が持てないものです。手順を覚えても、いざその人の前に立つと、力の入れ方も、声のかけ方も、何が正解なのか分からなくなる。「こんな自分が、この人の毎日に関わっていいのだろうか」。そんな不安を抱えながら現場に立った人は、きっと一人や二人ではありません。
うまく汲み取れずに、利用者さんを待たせてしまった日。思うように動けず、先輩のようにはいかなかった日。その帰り道は、足取りが重かったかもしれません。自分には向いていないのではないか、と立ち止まりたくなる夜もあったはずです。
それでも続けてこられたのは、一人で抱え込まなくてよかったからだ、と話す人がいます。最初の数週間は研修があり、現場には先輩が同行してくれる。分からないことは、その場で一緒に確認できる。最初から完璧にできる人はいない——そのことを、まわりの人たちが当たり前のように知っていてくれる。その安心感が、不器用な時期を越える支えになります。
そして、いま隣で頼りになっている先輩たちも、かつては同じように戸惑い、同じように落ち込んだ時期を通ってきています。誰もが最初は新人でした。だからこそ、つまずいたときの気持ちを、言葉にしなくても分かってくれる。それは、利用者さんと一対一で深く向き合うこの仕事において、何よりも心強い支えになります。
うまくできなかった日のことを、人は案外よく覚えているものです。けれど時間が経つと、その記憶は苦い思い出ではなく、「あのころは必死だったな」と、少しだけ笑える景色に変わっていく。やりがいというのは、もしかしたら、そういう不器用な日々の積み重ねの先に、気づかないうちに育っているものなのかもしれません。
感謝の、その手前にあるもの
やりがいは、大きな感謝の言葉として、分かりやすくやってくるものだと思っていた。けれど実際に手応えを感じたのは、もっと静かな、名前のつかない瞬間だった——そう話す人が、現場には少なくありません。
自分がそばにいることで、その人の「やりたい」がひとつ叶った。その人の暮らしが、今日も滞りなく続いていく。それを支えているのが、ほかの誰でもない自分の手だった。その事実が、ありがとうよりも深いところで、じんわりと残る。言葉にしようとすると、するりと逃げていくような感覚です。
たとえば、夜、利用者さんが穏やかに眠っている時間。何をするでもなく、ただそばで静かに気配を見守る。一見、何も起きていないように見えるこの時間も、その人が安心して夜を越えるために欠かせない、れっきとした仕事です。物音のない部屋の中で、自分がここにいる意味を、ふと実感する瞬間があります。
CILひかりが大切にしているのは、「してあげる」ことではなく、利用者さんが決めた暮らしを「一緒につくる」ことです。お世話をする側とされる側、という関係ではありません。同じ生活の場面を、二人で組み立てていく。利用者さんは支えられるだけの存在ではなく、自分の人生を自分で選んでいく主体です。やりがいは、たぶんその関係の中からしか生まれないのだと思います。
ありがとうが欲しくて始めた仕事だったとしても、いいのだと思います。働くうちに、感謝の手前にある、もっと静かな手応えに気づく日が、ふと訪れるかもしれません。そしてそのころには、ありがとうという言葉は、もらうために頑張るものではなく、利用者さんと自然に交わし合うものに変わっているのかもしれません。
やりがいって何だろう。その問いに、はっきりした答えを持っている人は、現場にもそう多くないのかもしれません。それでも続けている人たちは、言葉にならない手応えを、毎日少しずつ受け取っているのだと思います。現場スタッフがそれぞれの言葉で語った「やりがい」は、こちらの記事にまとめています。
あなたが今、同じことを考えているのなら。それは、この仕事に向き合おうとしている証拠なのかもしれません。